チェコは錬金術の研究でも有名な国です。
プラハには怪しげな伝説を持つ錬金術師がかつて住んでおり、錬金術博物館には貴重な資料が残っております。
そんな錬金術の魅力を、独自視点で照らしていこうと思います。
る〇るぶのスキマを突いた観光案内がコンセプトです。
一味ディープな海外観光スポットと楽しみかたをご提案します。
錬金術はお好きですか?
しかし、そのロマンは中二病と親和性が良く、日本ではフルメタルなアルケミストなど、アニメや創作物で有名ですよね。
子供の頃にトップ写真のような魔法陣を書いて遊んだことがある方も多いのではないでしょうか。
というわけで、プラハの錬金術博物館へ来ました。
プラハ城の近くにあります。


錬金術との関係性はよく分からないけれど。
ちなみに、入場料は220ck/11EUR(1400円位)です。
プラハでは美味しいランチが食べられる値段です。
試される絶妙な値付けです。
よく分からないオブジェがある観光スポットは、雲行きが怪しい。
そもそも錬金術とは? 博物館を見てみよう
錬金術が目指すものは何かご存知でしょうか。
色々な創作物から錬金術=「賢者の石」というイメージの方も多いと思います。
今回調べたところによると、錬金術のミッションは、”化合物が作りづらい金やプラチナなどの貴金属を、鉄や銅などありふれた金属(=卑金属)から作ること”です。
そのほか、不老不死も含まれます。
こちらは研究の様子です。

wikipediaによると不老不死にもなるらしいです。
この流れでホムンクルスの研究も錬金術の対象ですね。
ここら辺の設定が、創作物にも見られますね。
よく考えたら、すごくモヤモヤする。
人形のオブジェです。
恐らくホムンクルスの研究を模しています。

時代背景として、科学と魔法の区別があいまいです。
そこから、面白いものを見出す・発見を見出すのが楽しいのです。
ちなみに錬金術研究のオマケとして研究され続けたアルコールの蒸留技術によって、ウイスキーをはじめジン、ラム、テキーラなどの蒸留酒が今日楽しめております。
薬草を使ったアブサンは、錬金術の最大の成果とも言われており、チェコは今でもアブサンの産地として有名です。
怪しげなアブサン・バーが存在するのも、錬金術の研究が盛んであったことが源流にあると考えられるのではないでしょうか。

蒸留器の展示もありました。

ウイスキー作りの蒸留器(=ポットスチル)の形に近く、錬金術にウイスキー作りの源流を見ることが出来ますね。
その他、錬金術師の部屋が再現されております。


思ったより手の込んだ施設に興奮する。
なにか人の視線を感じる!
この人形はなに? 調べて。
長いのでスキップしてください。
彼こそは、プラハに住んでいた伝説の錬金術師”エドワード・ケリー”です。
一口に伝説と言っても実在した人物で、伝説も尾ひれがついて事実はわずか、その伝説も、ペテン師としての悪名が主なようです。
師匠にあたるジョン・ディーという”天使通信”を錬金術の一環として行っていた人の、天使との通信訳として1584年にボヘミア(現在のチェコ西部)に入ります。(ジョン・ディー自身は天使と通信できなかったそうです。)
ジョン・ディーとエドワード・ケリーは、ボヘミアの王であったルドルフ2世と公式に謁見を度々行った後、彼に取り入りこの地の貴族がパトロンとなります。
この間、エドワード・ケリー自体は、パトロンからの大金で裕福な生活をしつつ錬金術師としての名を、師匠にあたるジョン・ディー以上に高めていきました。
転機が訪れたのは1587年、ケリーが「天使がディーとすべてを共有せよと命じた」と告げたときです。
このお告げに従えなかったジョン・ディーはイングランドに帰り、エドワード・ケリーのみボヘミアの地に残ります。
絶好調のエドワード・ケリー。
1589年には、ナイトの称号も得ます。
しかし、これも長くは続きません。
一向に金の生産を成功させないエドワード・ケリーに、業を煮やしたルドルフ2世は彼を投獄してしまいます。
1594年に釈放されたケリーは背水の陣で金の生産に取り組んだものの失敗し、1597年にまた投獄され翌年に死んでしまいます。
このような背景から、ペテン師であったという伝説が生まれます。
真実は闇の中です。
はかなくも焦りを感じさせるケリー人形は、何を思っていたのでしょうか。
ちなみに人形が見つめていたのはこの絵です。
設定だけでお腹いっぱいになる。
おわりに
思いのほか、こってりとした設定に引き込まれた方々も多いのではないでしょうか。
プラハ城のほど近くにあるため、プラハ観光の際には是非、足を延ばしてみることをオススメします。
観光の思い出に差が出るのは、微妙なスキマ時間に行った少し怪しげな観光スポットだと思います。
とても楽しめる観光スポットでした。

