ベルギー名物といえば、チョコレート、ワッフル、フリットとありますが、本記事ではチョコレートの謎について迫ります。
チョコレートの国と聞くと、みなさんはどこを思い浮かべますか。
カカオ生産高世界1位、150万トンに迫る勢いのコートジボワールでしょうか?
おそらく、多くのかたが「チョコレートといえばベルギー」とおっしゃられるのではないかと思います。
ではなぜ、原料であるカカオの取れないベルギーのチョコレートが有名なのでしょうか。
不思議に思いませんか?
たしかに、ベルギー人もチョコレートには誇りを持っており、街中でも美味しいチョコレートを売っている小さなショップが沢山あります。
ではどうしてそうなっているのでしょうか?
改めて調べるべく、ブルージュにある「Choco-Story」というチョコレートミュージアムに行ってきました。

記念撮影する人、いるのかしら。
でもチョコレートは好き。私の名前の由来でもあるし。
チョコレートの歴史を3分間で
チョコレートの歴史を3分間で振り返りましょう。
チョコレートの原料として欠かせないのがカカオです。
本ミュージアムでは実際に栽培されておりました。
日本では見たことがなかったので驚きです。

この実は模型です。
中のマメのような部分がカカオです。

このカカオ、南アメリカのアステカが起源です。
紀元前5000年のアステカ文明で飲まれ、儀式や生活の一部となっていました。


ジョジョを思い出しますね。
その後、大航海時代となり、1528年には南米からスペインに伝わり飲まれ始めます。
実はこの頃のチョコレートは現代のチョコレートのように甘くありませんでした。
サトウキビが伝来していなかったためです。
この頃はスパイシードリンクとして、現代のシャンパンのようにめでたい飲み物として飲まれておりました。
17世紀のスペインでは健康飲料として提唱され、また上流階級の社交界でも楽しまれるようになりました。
実はこの頃にスペイン統治下にあったベルギーでも、甘くないチョコレートが飲まれていました。
1800年代にサトウキビが伝わることによって、現代の甘いチョコレートのようになっていきました。

ベルギーのチョコレートはいつ有名になったの?
実は、ベルギーのチョコレートが有名になったのは、20世紀になってからです。
1852年に創業のノイハウスが1912年にプラリネという、中にナッツを溶かしてクリーム状にしたものが入ったチョコレートを大ヒットさせたことによります。
更に1913年に創業したレオニダスが、1935年にマノンという、中にヌガーの入ったクリームを入れたチョコレートをヒットさせます。
ノイハウスも、レオニダスも現在では王室御用達として有名です。
なぜヒットに至ったのか?
ミュージアムによると、それまでチョコレートは簡易的な包装だったのですが、プラリネやマノンというチョコレートは壊れやすいため、オシャレなボックスに入れて売り始めたことがきっかけでした。
これによって、現代にも通じる贈答品としての需要も喚起されるようになりました。
チョコレートの中に、クリームなどが入っているのは普通ですからね。
それまでそんなチョコレートがなく、製造技術上も困難だったとすると、衝撃的な発明だったのかもしれませんね。
今度、チョコを買ってきて写真を載せますね。
シングルモルトウイスキーみたいですね。

まとめ
チョコレートミュージアムでの学びをまとめました。
- カカオの生まれは南米。
紀元前5000年にはアステカ文明で食べられていた記録あり。
1528年にスペインに持ち込まれ、飲まれ始めた。
甘くなったのは1800年代にサトウキビが伝わってきてから。
- ベルギーでチョコが有名になったのは19世紀に入ってから。
その背景はパティシエの技術力とプロモーションのうまさによる。
- 今日では、ベネズエラなど原産地を絞ったチョコで新たな需要を喚起している。
まさに甘い罠かもしれません。
ちなみにこのチョコレートミュージアムのチケットは「フリットミュージアム」のチケットとセットにすると、割安で購入できます。
「フリットミュージアム」もブルージュにあり、ジャガイモやフリット(フライドポテト)の歴史を学ぶことができるミュージアムです。
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